献本御礼。

本書「ゼロ」は、著者、堀江貴文がはじめて自分で自分を語った一冊。

僕は今まで、誰かにわかってもらおうという努力をほとんどしてこなかった。結論のみをシンプルに伝えれば伝わるものだと思っていた。誤解されても、誤解する方が悪いと強がっていた。でも、いま再出発しようとしている僕には、本当に伝えたいことがある。だから僕は変わろうと思う。言葉を尽くして、語っていきたい

稼ぐが勝ち」をはじめ、今までの本はそうではなかったのか。

そうではなかった。

それまでは、著者は自分がわかっていなかったから。

わかっていない以上、語りようがないではないか。

わかっていないというより、自明すぎて見落としていた。

そして見落としていることを知覚できても著者ほど実感できていない私がいる。

ホリエモン改め堀江貴文としての"処女作"『ゼロ』に伝えることへの執念を見た  | ふっしーのトキドキ投資旬報 | 現代ビジネス [講談社]
それは同じことを伝えるにもどう伝えるかが大事であるか、ということに気がついたことです。

いや、彼は知ってはいたのだ。知っていることを失念するほど。

「できる人」ほど、そうなのではないか。

 仕事や人生においてラクをすること。それは、掛け算を使うということだ。
 5+5で10の成果を出すのではなく、5×5で25の成果を出す。
 同じ時間、同じ労力を使いながら、より大きな成果を残していく。僕がメディアに登場するようになって以来、くりかえし訴えてきた「掛け算によるショートカット」だ。
 しかし、これまでの僕はショートカットの有効性を強調するあまり、その前提にあるはずの「足し算」部分についてほとんど語ってこなかった。
 人は誰しもゼロの状態からスタートする。  そしてゼロの部分にいくら掛け算をしても、出てくる答えはゼロのままだ。
掛け算を覚える前に、足し算を覚えよう。他者の力を利用する前に、自分の地力を底上げしよう。

掛け算が足し算を上回るにはどれだけ地力が必要かを戯れに計算してみる。己の持てる力Fを半々にしてそれを掛け合わせたものがFを上回ればよい。F < (F/2)^2、つまりF > 4。ここにおける1とは何だろうか。「一人前」の1でないないのか。だとしたら4とは人一倍のそのまた倍。掛け算にとりかかるのは、それくらい積み重ねてからということになる。

著者が何をどれだけ足し上げ、何を失い、そして何を再び足し上げようとしているのかは、各自本書で確認して欲しい。「1人前」の1は数字にすれば同じ1でも、あなたと同じ1はあなたにしかないのだから。

しかしそれがどんな数値であれ、

経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく

ことは誰にも等しく当てはまるのだ。

著者は本書をこう結んでいる。

はたらこう。

「稼ごう」、ではなく、「はたらこう」。

それは、「就職しよう」なのではない。それは「小さなイチを足していこう」ということであり、一歩づつ足を踏み出そうということである。それは、自室でも獄中でも出来ること。著者もそうしていたし、私自身の不登校も今思えば懸命に「はたらいて」いたのだ。

著者の伝えたいのは、つまるところそれだけ。

誰でも出来ることで、誰もがやったことがあることで、だけど本当にやったことがある人が、言葉を尽くしてはじめて伝わること。

著者以上にそれを日本語で伝えられる人を、「掛ける数」の一つだった私は知らない。

Dan the Multipli(er|cand) Thereof