来た、見るまでもなく、買った。

行列 vs. 予約

姉 vs. 妹

Wi-fi vs. + Cellular

その他大勢 vs. iPad

404 Blog Not Found:一触瞭然 - 品評 - iPad mini
これは、iPadの小型版ではない。iPadの新基準だ。この7.9インチを iPad mini というより、「姉」の9.7インチを iPad classic と呼ぶべきともいうべき、新基準なのだ。

その新基準は、これで Retina Display と 64bitプロセッサー A7 になった。目に毒であると同時に、手に毒でもある。

しかしむしろ驚くべきなのは、先代が値下げされてもなお当代Nexus 7より高いにも関わらず売れており、そしてより使い物になることだろう。iPadはNexus 7もKindle Fireも兼ねるが、その逆は真とはならないという状況は、今もほとんど変わっていない。

iPhoneもiPadも、高価格で高品質だ。それでは「他と比べて高いか」と言われると、他があるようでないのだ。「片手で使えるスマートフォン」という地位にはiPhoneしかいないし、「縦でも横でも使える縦横無尽なタブレット」という地位にはiPadしかいない。直接勝負を挑んだ製品は、ほぼ駆逐されてしまった。「スマホ」は巨大化することで、「タブレット」は小型化することでiOSデバイスとの競合を避けている。

しかしそれは、それぞれの存在意義そのものを捨ててしまうことでもある。5インチスマフォはもはや携帯電話とはいえないほど大きいし、7インチタブレットに縦横無尽さはほとんどない。別の存在意義を見出したといえばそれはそうだけれども、それは捨てた存在意義に見合ったものだろうか?

404 Blog Not Found:An Inch that Makes Me Itch - 品評 - Nexus 7 (2013)
登場以来、毎年代替わりしているとはいえ、タブレットにかぎらずモバイルデバイスは「消費」するものではなく「使用」するものである。そうである以上、費用対効果は、「いくら」だけではなく、それを「どれだけ使うか」で割ってはじめて判明する

その意味において、本製品において最も重要なのは、Retina Displayでもなく、A7プロセッサーでもなく、それがiPadであるということ。すでにコンセプトがはっきりし、そしてその正しさが実証されている以上、「よくなる」ことは許されても、「別物になる」ことはもはや許されないのだから。

その「正しさ」とは、製品ではない。その製品とともに歩んできた、ユーザーの体験である。それを否定することは、製品ではなくユーザーの人生を否定することにすらなりかねない。スマフォからパソコンまで、パーソナルコンピューティングデバイスというのは今や体験の器であり、その器が空である現代人はまずいない。ある以上、その中身を新しい器に遺漏なく移せること、最も基本的な「保証」ではないか。

iOSデバイスほど、それがきちんと保証された製品はない。初期設定でiCloudから復元するだけで、今までの体験はブラウザのタブに至るまでついさっきまで使っていたのと同じように戻る。

そして、旧い器はきれいさっぱり空になり、ひとに譲ったらそれはその人の器になるということも。iOSデバイスを空にするのに必要なのは[設定]→[リセット]→[すべてのコンテンツと設定を消去]とするだけ。あとはiCloudのパスワードを入れれば、旧デバイスはきれいに更地となり、新オーナーのものとなる。

先代Surface RTがそうなっていないのは、ゆえにかなりのショックだった。

リカバリーメディアを作成しなければ、譲渡することもままならないとは!

「器ではなくクラウドのキャッシュ」であるNexusはこの点ではだいぶましである。が、旧製品を使い捨てにすることには向いていても、旧製品も使い続ける場合には不適格だ。たとえばこんな風に。

体験の器となるには、Androidは使い捨てすぎるし、Windows 8は移行の敷居が高すぎるのだ。

iPad mini with Retina Displayは、その意味において、たとえそれがあなたに合わなかったとして薦められる。別の器にする際に中身が失われる心配とは無用だし、譲って欲しい人はいくらでもいる。

しかしこれ以上多くの人の多くの用途に合致するタブレットが、他にあるのだろうか?

少なくとも、私には見当たらない。

Dan the User Thereof