「無責任世代よ、退場せよ!」と彼は言う。そんなこの本を読みながら思い出したのが、わが敬愛するみゆきさんの「成人世代」。


♪大人の隣を追い越せば
♪しらけた世代と声がする
♪子供のの隣を追い越せば
♪ずるい世代と声がする

30代は本来成人世代のはずなのだが、この本の主張ではむしろ「子供の世代」なのだ。このアルバムが出たのは1986年。みゆきさんがまさに著者である原田氏の年代のころに書かれたものである。

彼が感じる閉塞感は、すでに「無責任世代」においても存在していたのだ。「無責任世代」こと「団塊の世代」は、今の「サイレント・クレヴァーズ」こと「団塊ジュニア」より遥かに声高に「無責任世代よ、退場せよ!」と叫び、そしてそれに失敗している。まだ彼らは安田講堂に立てこもった分、団塊ジュニアより行動的ではあったのだ。「しらけた世代」になるのもむべなるかな。

それでも私は、まだ声をはりあげる人がいてくれることをうれしく思う。さらの下の世代はもう声をあげることすら「かったるい」のだから。

みゆきさんは、「成人世代」をこう結んでいる。

♪夢やぶれ いずこへ還る

しかし、こう結べるだけ、まだ「かつての成人世代」は余裕があった。「今の成人世代」の夢が破れて残るのは、破綻した国家財政であり、修復不可能にまで開いてしまった世代間の亀裂であり、そしてそこに還る場所など誰にとっても残っていないかもしれないのだ。

むしろ私はこの二つの世代は手を結べるのではないかと思っている。そしてそれは彼が蛇蝎のごとく嫌う(私だって嫌いだ)「じじい殺し」というかっこわるい形をとることもないと考えている。自尊心旺盛な「かつての成人世代」にとって、「今の成人世代にコロされた莫迦な世代」という称号は、「無責任世代」という称号以上に耐えられないはずだからだ。

この本の残念なところは、闘争するにしても共闘するにしても、「無責任世代」の分析が不十分なことだ。自らの世代に対する分析と同じかそれ以上に綿密な分析なしに「退場せよ!」といって退場してくれるほど彼らは無責任でも無能力でもない。